だい25 しろ帽子ぼうしなつうみ
 あのは、まぐれなうみがつれてきたのだべと、おら、おもっている。
去年きょねんなつ。おら、イカつりふねるため、近道ちかみちしようと岩場いわばあるいていた。すると、ふいに、なみがあらわれたのだ。
 こんなところにとおもってちどまると、なみではなかった。
しろおおきな帽子ぼうしをかぶった、あのがあらわれたのだ。
 あっと、あのは、さけんだ。
おらも、どでん、したんだ。どでん、いうのは、びっくりしたということだ。
「ごめんなさい。びっくりさせたみた」
なみだべかとった」
「この帽子ぼうしが?」
 うん、と、おら、うなずいた。
あのは、また、どでんとするような、おおきなこえわらった。
帽子ぼうしが、なみえるなんて、おかしくって」
 わらいおわると、あのは「どこへくの」と、おらにきいた。
おらは、これから、はたらきにくのだ。
「わたし、おかうえのホテルにとまっているの。あそこからえるかしら、あなたのっているふね
ふねは、いっぱいはるから、わからなかべ」
「ううん。わたし、きっとみつけてあげる。みつかるまで、ねむらないでうみてる」
 がんばってねと、あのは、いった。
 おふくろのようだと、おら、おもった。んでも、やっぱしちがうな。
おふくろは、あんなに、めんこくないもんな。はたらいいてるから、かおもまっくろだ。
 「南洋なんようじゃ美人びじんだよ」というけれど、南洋なんようったって、美人びじんじゃないにきまってる。

 その、イカは、大漁たいりょうだった。
ほっとして、ホテルをみると、あかりはついていなかった。
 それだけのことだ。あのとは、それっきりだった。
名前なまえもしらない。ここへは、もう、こないだろう。
 おもは、ひとをやさしくしてくれる。
しろいほんもののなみが、なしてだか、あのおおきな帽子ぼうしているようで、いわをかんでいるのに、やさしいおとにきこえてならないのである。


(昭和六十一年七月 岩手日報夕刊に掲載)