だい24 かみかくし
 又十またじゅう山仕事やましごとをおえてかえ途中とちゅう、ふとみると、一軒いっけんいえまえわかむすめが、おもてのをあけたまま、そとっていました。
「ありゃあ、おサキぼうでねえか。いつのまにか、こんなにおおきくなって」
 又十またじゅうこえをかけようとして、くちをつぐんでしまいました。むすめは、こころまよいがあるのか、はいりこめばてこれないともいわれるふかやまを、じっとみつめているのでした。
 わるいときにいえまえっているなあおサキぼうは、と、又十またじゅうおもいました。
 むらには、ともしごろにおんなどもがいえまえにたっていると、かみかくしにあうというつたえがあったからでした。

そのばん半鐘はんしょうがならされました。火事かじかとはねきた又十またじゅうは、おサキぼうがいなくなったことを、むらびとたちかららされました。
 おサキぼうは、どこへったものか、いくらさがしてもみつかりませんでした。
おサキぼういえでは、あたらしいぞうりと、タライにみずれて、いえまえにおきました。
 ときどき、タライのみずがこぼれ、ぞうりもぬれていることがあったので、おサキぼうは、きっときているにちがいないと、いえのひとたちはなぐさめあっていました。
 十何年じゅうなんねんかがすぎて、又十またじゅうは、すっかりとしをとってしまいました。これでおわりにしようとおもいながら又十またじゅうは、山仕事やましごとかけました。
 なれているやまのはずなのに、きりてきてひるなのかよるなのかわからず、又十またじゅうみちまよってしまいました。
 これまでとあきらめて、つっぷした又十またじゅうのほほに、ながかみつよちつけられました。
 又十またじゅうかおをあげると、おサキぼうによくおんなひとが、かみひだりりました。
 すこしずつきりもはれて、やまひだりがわが、たしかにかえみちでした。おサキぼうは、それからのちもさとへもどることはなく、やまにはやま人生じんせいがあるのだべ、それでおサキぼうはいいのだべと、又十またじゅうおもうのでした。


(昭和六十一年六月 岩手日報夕刊に掲載)